オリンピックへの思い

レアル・マドリーのロビーニョが五輪出場を断念し号泣(sports navi)
五輪=代表派遣をクラブに断られたラフィーニャ、チーム練習を休む(ロイター、yahoo Japan スポーツ)
あと、メッシも五輪最終メンバーに選ばれていながら、まだバルサに反対されているようです・・・。


(関連記事:7月23日"五輪サッカーについてのコラムリンク ")


私は当初、メッシなどは五輪に出なくても、と思っていました。でも、上の2名の選手や他のメッシの記事などを読むと、なんとかならないものか、と思ってしまいます。(ロビーニョも怪我、ということらしいですが、想像するに五輪をあきらめるほどの怪我ではなくて、レアル側の意向が強いのでしょうか。)
私はスポーツ選手ではないので、全くわからないのですが、一昨日の記事にも書きましたが、カベンディッシュがツールをたぶん五輪のために途中でやめた、という例もあり、スポーツをする人にとって、"オリンピック"という存在がいかに大きいものなのか、と感じさせられました。
(選手はクラブに雇われているのだから、しかたがない、とは思います。けれど、選手のオリンピックへの思いは、何か自分らの想像の域を超えているような気がします。もし、人が泣いても笑っても一度しか生きられないのだとしたら、その思いをかなえるために、出られる時に出してあげるべきなのでは、という気がしてきます。)
(メッシは・・・ぜひ、出してあげてほしいな・・・。)
(もう、能力のある選手は、契約のとき、五輪への要請があった場合、五輪に優先して出場させてもらえるよう、条件につけてもらった方がよさそうな気がします。)