"精神科医がうつ病になった"という本を読んだ

精神科医がうつ病になった―ある精神科医のうつ病体験記

精神科医がうつ病になった―ある精神科医のうつ病体験記

今年はたくさんいい本に出会えた。この本ともある意味、貴重な出会いだった、という気がする。(ちょっとしたミスから、この本に出会えることになったのだが。幸いだった。)
(この本に出ている泉さんのHPは残念ながら閉鎖されてしまっているようです。泉さんの"その後"を知ることができなくて、ちょっと残念です。)(でも、もしかして、こっそりどこかでブログとか書いてらっしゃるかしら?とてもいい文章を書く方なので、本1冊しか出してらっしゃらなくて、何か公に文章を公開される機会を持たないのは、とてももったいない気がします。)

そうか〜、精神科医でも、こんな親身な方がいらっしゃるのか〜、などと考えたりもしました。(う〜ん、私があまりにも、精神科医を下に見てしまっているせいもあるから、こんなことを言ってしまうのでしょうか・・・。)
正直、初めのうち、こんなピュアな人が精神科医になるなんて、信じられない、何かの間違いだ、辞めたほうがいい、なんて思いながら、この本を読み進めていました。でも、その経緯をたどっていくと、う〜ん、この方の運命、使命なのかな〜、などとも考えられないこともありませんでした。

正直に言いますと、この8、9ヶ月、精神科の医者って、最低だな、とさえ思っていました。(もっとさかのぼって振り返れば、もっと前から、嫌〜な精神科医はいましたが。)たいへん失礼な言い方ですが、患者の前では、てきと〜に笑ったり、時にはジョーダンも言ったり、場によっては楽しそうにしたり、いい人"ブって"、で、ただただ、ガンガン、治るか治らないかわからないようなクスリを飲ませる(買わせる?)、そういう人種だ、と思ってました。
そういうワケで、この本を読んで、ただ、そういう人種というワケでもないのか、という気はしました。こんなに一生懸命な精神科のお医者さんもいらっしゃるのか、と。

いろいろ涙したり、感じたことはあったけれど、とりあえず、心の病気には周囲の理解、特に家族の理解がとても必要なんだと、できれば、声を大にして言いたい。たぶん、少なからぬ家族、周囲が、冷たい風を吹かしているような気がします。うつ病患者が増えつつある世の中なのに、とりあえず、"今は"そうでない人々が、結構冷たい対応をしているんじゃないかな、と思う。そういう患者は"甘ったれている"的な。(まぁ、そういう心の病にならない人は、強かったり、いわゆる勝ち組だったりするのかもしれないけど・・・、どうにもならない、ってことがある・・・んだよね・・・。)


さてさて、ここからは、レッズの試合を見ながら、少しずつ、感想を書いていくことにします。(同時にネタばれ的なところがあるかもしれません。ネタばれ的なことを読まれたくない場合はお気をつけ下さい。)
いや〜、まずは、"尾崎豊"。今は亡き若き魂の象徴・・・。(日本版ジェームス・ディーン・・・と言っていいのだろうか?話は飛ぶが、私は尾崎の死を隔離病棟の個室の中、ラジオのニュースで聞いたのを覚えている)とはいえ、実は私は彼のファンでもなんでもない、が、この本を読んだら、無性に彼のコンサートを見てみたくなった。(といっても、非常に残念なことだが、生の彼の姿を見るのは、全く不可能なこと。DVDを探して見ようか。)
へぇ〜、そんなスゴいのか〜というのが次の箇所。

それはコンサートというよりも、一つの事件、出来事のように感じられた。それくらいすごかった。(中略)僕らはそのコンサートの後、しばらく口がきけなかった。放心状態だったこともあるし、あれだけのものを見せつけられた後では、全ての言葉は陳腐になってしまうような・・・

私はさびしいことなのですが、コンサートで、それほど感動したことがないんですよね・・・。(稲垣潤一の学園祭ライブを見た時、何がどう、というワケでもないのに、なんだか感動した覚えがあるけど、ほかは・・・それほどないですね・・・。)こんなコンサート、見てみたいですよ・・・。(まぁ、尾崎については、ほんと残念ながら、ムリなことなんですけどね。)

そして・・・悲しいことに、友達が彼について感じたことは当たってしまっていますね・・・。(このお友達も、スゴいな、って思います。その表現といい・・・。)

「あの人は長生きできないよ」(中略)「あまりに早くいろんなことを知りすぎている。まっすぐすぎるんだ。限りなくベクトルが死に向かっている。生き急いでいる気がする。」

そんなことを感じられるなんて・・・う〜ん、そのお友達も、何か同質のものを尾崎に感じていたのでしょうか・・・。
(なんか、話が飛びますが、私も24歳で、結婚する前に死ぬんだ、なんて思ったものだけど、生きながらえてしまったために、今、こんなに苦しんでいるんでしょうか・・・?--でも、私は、20代が結構青春だったんですけどね。(^^;)


そして・・・ここですね・・・私がそれは違う!(つまり、この方が精神科医になるのは違う)と思ったのは。(これはご本人の言葉のようですね。)

「オレは本当のことが知りたいんだ。ごまかしやまやかしはもうたくさんなんだ。物事の本質を知りたい。何がこの世で一番大切なのかを知って、それに向かって生きていきたいんだ。」(中略)「文学でも哲学でも宗教で医学でもいい。何か物事の本質に近づけるものであればね。でも何がいいのかよくわからないんだ。」

あ〜、わからないために、ここに来てしまったか・・・。残念。すごく残念!(まだ外科医とかだったらな・・・。と、ドラマ"医龍"を見てるとそう思う。(^^;生と死、紙一重のところに接している感じが。)


そして、この方の真面目さ、ピュアさが現れているのが、この箇所。親友が(躁)うつ病で亡くなってしまった時・・・。

僕が真面目な学生で浪人していなかったら、留年していなかったら、初めから精神科の授業に出ていたら、(中略)僕がもたもたしていたから彼を見殺しにした。彼を殺したのは誰のせいでもなくこの僕だ。

そこまで自分を追い詰めなくたって・・・。
君のせいじゃないよ・・・。(-_-;


それから、ここもちょっと違うな・・・と思ったのですが・・・(これは指導医の先生のお言葉のようです。)

内科医や外科医が人の命をあずかる仕事だとすれば、精神科医はその人の人生をあずかる、とても責任の思い仕事だ

私は・・・精神科医に人生をあずけないですむ生き方を模索した方がよい気がします・・・。ちょっと話が違うかもしれませんが、実際、一生を精神病棟で過ごそうと自分で決めている、凄く普通に近い方が少なからずいらっしゃいます・・・。本当に残念です。若干ちょっと普通とは違うな〜、くらいの方で精神病棟に長く、あるいは一生暮らそうと考えていらっしゃる方がいます。(もどかしいのが、それは強制されているのではなく、本人が望んでいたり、ほとんど諦めていたり、という感じです・・・。私が思うにあの程度なら、外の世界で普通に暮らせていいハズなのに・・・。)


そして、先に挙げた家族の不理解のための不幸・・・。(次は患者さんのご家族の言葉。)

「なまけ病だ。昔からそういう傾向があった」「自殺未遂が近所に知れて、恥ずかしくてもう家には帰せない」「ずっと入院させてもらえる病院はないんですか?」

家族が、ちょっと面倒なヒトは入院しててほしい、と思っているケース、結構あると思います。暴力などがあるならわかりますよ。そうではなく、ちょっとヘン、くらいで。(まぁ、ただ、うつ病の場合だと、家族が、いつもいつもその人が自殺しはしないかと目を光らせていないといけないとしたらかなりしんどいでしょうから、そういう意味でなら、わかりますけれど。そうでなく、自分が快適に生きるために、ちょっとヘンな人は家にいてほしくない、という感じ。そういうのって、家族ではない感じがしますが。)そして・・・(おそらく、ご家族の不理解のせいなどがあったのではないかと思いますが)この患者さんは退院されてから、亡くなってしまいます・・・。(おそらく自殺。胸が痛い・・・。)


それと・・・この方、ご自分でうつ病をわずらってらっしゃってからも、(彼女の言うことも聞かず)休まず働いちゃったみたいなんですけど、これは、(彼が精神科医ということで)ほんと、よくなかったと思います。だって、死にたい死にたいと思っている方に、「この薬飲めばだいぶ楽になりますよ。死なないで下さいね。」とか言われたくないですよね・・・。(そんなことを言ったとは書いてありませんが、お医者様だったら、この手のことはおっしゃったのではないでしょうか?)基本的に、自分の持ってないものは与えられないですから・・・。軽いうつ病ならば、「あ〜、私もちょっとうつ病があるんですよ。でも、こうして、働けるんです。」みたいな希望を与えられるかもしれないけれど、重くなってしまったら、希望は与えられないですよね・・・。でも、うつ病を経験されたこと自体は、精神科医として悪くないと思います。きっと患者さんの気持ちをわかってあげられる先生になれると思いますから。(ほんと、精神病の経験がないであろう先生を見ると、「あんたなんかには一生私たちの気持ちはわからない!」なんて、反発心を持ってしまったりもしますから。)